お正月
年末から帰省し、今年は、例年よりも長く主人の実家で過ごしました。
高齢になって疲れやすくなった義母なので、もうおせち料理も作らなくてもいいと言っていたのですが、
31日に帰省した時には、すでに、おせち料理も作り終えていました。
ご近所さんの分もなので、二軒分。しかもありあまる量でした。
お重に詰めるのは私の担当なのですが、入らなくて苦戦しました(笑)
やはり、お正月は子供たちも皆帰ってくるので、義母もはりきるのでしょう。
気もはっているのか元気そうに見えました。
話していることもしっかりしているし、忘れっぽいのはあったけど、いつもの程度だったし、
疲れやすくはなってても、あれやこれやと動いてはつらつとしていました。
でも、いざ私たちが帰る段になると、急にさびしくなったのか、
泣き顔になってしまいました。
帰ってから「着いたよ」のコールでも、まだ泣き声でした。
お正月は、義姉夫婦や、義兄夫婦も来て、にぎやかだったのに、
急に皆がいなくなってしまって、家の中がシーンとしてしまったので、
嬉しかった分、寂しくなってしまったんだと思います。
私たちが長く居たのも、寂しさを強めたのかもしれません。
でも、どちらにしても寂しさは感じるのかもしれません。
長くいてくれてありがとう!と感謝してくれましたが、
逆に悪かったかなとも思います。
やっと、義父の死後1年の月日であまり泣かなくなった義母なのに、
少し逆戻りしてしまったかもしれません。
忙しいことや気をはることも大事だと思いますが、
反動で、これからの平日をボーーーっと過ごしてしまわないか少し心配になります。
また、帰れる時にはちょくちょく帰るようにしないとな、と思います。
高齢になって疲れやすくなった義母なので、もうおせち料理も作らなくてもいいと言っていたのですが、
31日に帰省した時には、すでに、おせち料理も作り終えていました。
ご近所さんの分もなので、二軒分。しかもありあまる量でした。
お重に詰めるのは私の担当なのですが、入らなくて苦戦しました(笑)
やはり、お正月は子供たちも皆帰ってくるので、義母もはりきるのでしょう。
気もはっているのか元気そうに見えました。
話していることもしっかりしているし、忘れっぽいのはあったけど、いつもの程度だったし、
疲れやすくはなってても、あれやこれやと動いてはつらつとしていました。
でも、いざ私たちが帰る段になると、急にさびしくなったのか、
泣き顔になってしまいました。
帰ってから「着いたよ」のコールでも、まだ泣き声でした。
お正月は、義姉夫婦や、義兄夫婦も来て、にぎやかだったのに、
急に皆がいなくなってしまって、家の中がシーンとしてしまったので、
嬉しかった分、寂しくなってしまったんだと思います。
私たちが長く居たのも、寂しさを強めたのかもしれません。
でも、どちらにしても寂しさは感じるのかもしれません。
長くいてくれてありがとう!と感謝してくれましたが、
逆に悪かったかなとも思います。
やっと、義父の死後1年の月日であまり泣かなくなった義母なのに、
少し逆戻りしてしまったかもしれません。
忙しいことや気をはることも大事だと思いますが、
反動で、これからの平日をボーーーっと過ごしてしまわないか少し心配になります。
また、帰れる時にはちょくちょく帰るようにしないとな、と思います。
#
by ebisuke1014
| 2019-01-10 00:24
義母のこと
義父が亡くなり、泣いてばかりいた義母も一周忌を過ぎたころからようやく泣かなくなりました。
来年の5月頃には早くも三回忌を行う予定です。
義父が亡くなってから気落ちしている義母を心配して、
義姉は、毎週の様に帰省をしてくれていたのですが、
その義姉から、最近義母の様子が少しおかしいとの連絡がありました。
(義母が)言ってることが分からない時があるそう。
あと、火をつけっぱなしにしてることがあり、危険とか。
先月の連休に久しぶりに帰省したのですが、私が見るかぎり、さほどおかしなことはありませんでした。
言っていることも、ちゃんとしていました。
が、私たちが帰省中にも、火のつけっぱなしがありました。
以前から、火のつけっぱなしがあったので、ガスはやめて、IHにした方がいいのでは?という話はあって、
帰省した時に、一緒に電気屋さんに見に行ったばかりでした。
IHにするには、まず取り付けできるかどうかとか、家を見てもらわないといけないし、
工事も必要になるので、その日は見に来てもらって見積もりをとる段取りだけしました。
費用もかかりますし、工事も必要になるので、義母も遠慮して「気を付けるから、大丈夫」と言うのですが、
その矢先に、火をつけっぱなしで、うたたねしてしまってたので、
これはもう、絶対にガスは危険だと思いました。
本格的なものでなくても、今は、簡易なものもありますし、
火力は低いですが、それなら普通のコンセントですぐに利用もできるし、
そういうのでもいいかもしれません。
石油ストーブも使っているので、それも火事の危険性があるので、気になります。
(昨年は、石油ストーブの横で転んだと聞いて、石油ストーブの上のやかんにひっかからなくて良かったと思ったと同時にすごくこわかったです)
なんせ、日頃は一人なので、やはり心配です。
週末には義姉が泊ってくれますが、やはりずっと一緒に暮らしてる訳ではないので。
来年の5月頃には早くも三回忌を行う予定です。
義父が亡くなってから気落ちしている義母を心配して、
義姉は、毎週の様に帰省をしてくれていたのですが、
その義姉から、最近義母の様子が少しおかしいとの連絡がありました。
(義母が)言ってることが分からない時があるそう。
あと、火をつけっぱなしにしてることがあり、危険とか。
先月の連休に久しぶりに帰省したのですが、私が見るかぎり、さほどおかしなことはありませんでした。
言っていることも、ちゃんとしていました。
が、私たちが帰省中にも、火のつけっぱなしがありました。
以前から、火のつけっぱなしがあったので、ガスはやめて、IHにした方がいいのでは?という話はあって、
帰省した時に、一緒に電気屋さんに見に行ったばかりでした。
IHにするには、まず取り付けできるかどうかとか、家を見てもらわないといけないし、
工事も必要になるので、その日は見に来てもらって見積もりをとる段取りだけしました。
費用もかかりますし、工事も必要になるので、義母も遠慮して「気を付けるから、大丈夫」と言うのですが、
その矢先に、火をつけっぱなしで、うたたねしてしまってたので、
これはもう、絶対にガスは危険だと思いました。
本格的なものでなくても、今は、簡易なものもありますし、
火力は低いですが、それなら普通のコンセントですぐに利用もできるし、
そういうのでもいいかもしれません。
石油ストーブも使っているので、それも火事の危険性があるので、気になります。
(昨年は、石油ストーブの横で転んだと聞いて、石油ストーブの上のやかんにひっかからなくて良かったと思ったと同時にすごくこわかったです)
なんせ、日頃は一人なので、やはり心配です。
週末には義姉が泊ってくれますが、やはりずっと一緒に暮らしてる訳ではないので。
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by ebisuke1014
| 2018-12-16 01:39
| 介護のこと
義父、逝く。
前回の見舞いから、都合が悪く2週間ほど見舞いに行けず、次の週末には義父を見舞う予定だった。
その矢先、金曜日の夕方、義母から義父が危篤との連絡が入った。
食事をとれなくなって入院してから約1ヶ月。
ネットで調べたところ、個々の体力にもよるけど、点滴だけでは2週間から2ヶ月程度と書いてあったし、
義父の痩せ細った体と混迷した意識状態を見ていると、その日は近いのではないかと思っていた。
でも、そんな中でも、時々反応があったりして、そのような報告を義姉から聞いていたので、
状態は安定しているように思っていた。
正直、いつどうなってもおかしくはないと思っていたけれど、
いざ、そうなると慌てるもので、飛んで病院へと向かった。
他の兄弟はみな揃っていて、私たちが一番最後だったが、
義父はまだ頑張ってくれていて、その晩はそのまま超えた。
翌日、また兄弟や義母で、交代しながら日中見守り、夜は義姉と姪っ子が病院へ泊ってくれることとなっていたので、
夜8時過ぎ頃、そろそろ義母と私たち夫婦は実家へ帰ろうかと病室を後にした。
義父はもう、呼びかけにもなにも反応しない状態が続いていたが、
脈拍や血圧が低下したり、また少し戻って安定したりを繰り返していた。
帰る間際に数回あくびを繰り返していて、
そのあと、眉間にしわを寄せていた。
お父さん眠たいのかなぁ?寝てるのにね~~。なんて言いながら、
でも、眉間にしわ寄せてしんどそうと、額をなでたりしていたのだが、
病院を後にして数分後、病院の義姉から電話があり、「すぐに戻ってきて!」と。
病院についたときは、もう心配停止状態だった。
義姉に見守られ、最後のあくびのあと、苦しそうな顔をして息をひきとったそうだ。
たぶん、一番心配していた義姉に見守っててもらいたかったのでは?と思った。
入院から1ヶ月。人生を全うするのはやはり大変なことだと思った。
見守る方もつらいが、本人もつらかったろうと思うと、
私は、寿命を全うした義父にお疲れ様と言いたかった。
その矢先、金曜日の夕方、義母から義父が危篤との連絡が入った。
食事をとれなくなって入院してから約1ヶ月。
ネットで調べたところ、個々の体力にもよるけど、点滴だけでは2週間から2ヶ月程度と書いてあったし、
義父の痩せ細った体と混迷した意識状態を見ていると、その日は近いのではないかと思っていた。
でも、そんな中でも、時々反応があったりして、そのような報告を義姉から聞いていたので、
状態は安定しているように思っていた。
正直、いつどうなってもおかしくはないと思っていたけれど、
いざ、そうなると慌てるもので、飛んで病院へと向かった。
他の兄弟はみな揃っていて、私たちが一番最後だったが、
義父はまだ頑張ってくれていて、その晩はそのまま超えた。
翌日、また兄弟や義母で、交代しながら日中見守り、夜は義姉と姪っ子が病院へ泊ってくれることとなっていたので、
夜8時過ぎ頃、そろそろ義母と私たち夫婦は実家へ帰ろうかと病室を後にした。
義父はもう、呼びかけにもなにも反応しない状態が続いていたが、
脈拍や血圧が低下したり、また少し戻って安定したりを繰り返していた。
帰る間際に数回あくびを繰り返していて、
そのあと、眉間にしわを寄せていた。
お父さん眠たいのかなぁ?寝てるのにね~~。なんて言いながら、
でも、眉間にしわ寄せてしんどそうと、額をなでたりしていたのだが、
病院を後にして数分後、病院の義姉から電話があり、「すぐに戻ってきて!」と。
病院についたときは、もう心配停止状態だった。
義姉に見守られ、最後のあくびのあと、苦しそうな顔をして息をひきとったそうだ。
たぶん、一番心配していた義姉に見守っててもらいたかったのでは?と思った。
入院から1ヶ月。人生を全うするのはやはり大変なことだと思った。
見守る方もつらいが、本人もつらかったろうと思うと、
私は、寿命を全うした義父にお疲れ様と言いたかった。
#
by ebisuke1014
| 2017-06-09 00:24
その後GW
その後、GWに入ったので、また義父を見舞う。
容体はあまり変わらないが、熱は下がっている様で、眠っている。
その日は比較的反応があり、眠っているながらも、まぶたを開けようとする動きが見てとれたり、
手足がよく動いていたり、口元も何か言いたそうに動いていたりした。
ただ、覚醒することはなく、はっきりと聞き取れるほどの発語もなかった。
実家に泊り、また帰宅するときに病院へ寄ったが、
この時は、直前に義姉が見舞っていたせいか、
疲れていたのか、反応がほとんどなかった。
状態はあまり変わらない様に思うが、入院してから現在2週間程度。
あの点滴でどれだけ補えているのだろうか。
見た感じはしんどそうではないので、それは救いなのだけれど、
本人はどのように感じているのだろうか・・・
容体はあまり変わらないが、熱は下がっている様で、眠っている。
その日は比較的反応があり、眠っているながらも、まぶたを開けようとする動きが見てとれたり、
手足がよく動いていたり、口元も何か言いたそうに動いていたりした。
ただ、覚醒することはなく、はっきりと聞き取れるほどの発語もなかった。
実家に泊り、また帰宅するときに病院へ寄ったが、
この時は、直前に義姉が見舞っていたせいか、
疲れていたのか、反応がほとんどなかった。
状態はあまり変わらない様に思うが、入院してから現在2週間程度。
あの点滴でどれだけ補えているのだろうか。
見た感じはしんどそうではないので、それは救いなのだけれど、
本人はどのように感じているのだろうか・・・
#
by ebisuke1014
| 2017-05-08 23:05
| 介護のこと
義父が入院
提携病院でレントゲンを撮った後、特に義父の様子について施設から連絡がなかったため、
安心していたのだが、
1週間ほどしてからか、ここ数日ご飯を食べないので、入院させますとのこと。
義母と義姉が付き添い、提携の病院へ入院となった。
その時は、ほんとにげっそりと痩せて、変な顔色だったと、
義母が振り返って報告してくれたのだが、
入院翌日には点滴のおかげが、顔色が戻り元気そうに見えたとのこと。
そう報告を受けていたので、その週は私たちもさほど心配はしていなかった。
そしてその週末、病院へ義父を見舞うと、
驚くほど痩せており、手足は触るのが怖いくらい。
仰向けに寝たお腹は、くぼんでいた。
点滴は、水分補給程度のものだけしかしていなかったので、
大丈夫なのか?と思ったのだけれど、医師の処置だし、今は不要なのかな?と。
義父は、眠っている様子で、話しかけても、体をトントンしても、
目覚めることはなかった。
熱が37.8くらいあったので、氷枕をしてもらった。
熱があるのと、食事をとれてないから、体力が弱っているのと、
もしかしたら、何か点滴に薬が入っているのかも?で
体が弱っているので、眠りを欲しているのかもしれないな~と。
でも、もう、ここしばらく意識が混沌としている義父。
その翌日にここの病院の医師から子供たちが呼ばれていたので、
義兄・義姉・義母で話を聞きに行ったところ、
延命治療をどうするか?という話だったらしい。
そして、「よくなることはない」といわれたらしい。
高カロリーの点滴の話や、いろうの話もなかったようなので、
今の状態ではそれらの処置は難しいのかもしれない。
しかし、あの点滴だけでは、体力が低下していくばかりで、
どのくらいもつのだろうかと、思った。
具体的な報告はなかったので、医師からもこちらからも聞かなかったのだろう。
今後のことを心づもりしなくてはいけない段階にきている。
安心していたのだが、
1週間ほどしてからか、ここ数日ご飯を食べないので、入院させますとのこと。
義母と義姉が付き添い、提携の病院へ入院となった。
その時は、ほんとにげっそりと痩せて、変な顔色だったと、
義母が振り返って報告してくれたのだが、
入院翌日には点滴のおかげが、顔色が戻り元気そうに見えたとのこと。
そう報告を受けていたので、その週は私たちもさほど心配はしていなかった。
そしてその週末、病院へ義父を見舞うと、
驚くほど痩せており、手足は触るのが怖いくらい。
仰向けに寝たお腹は、くぼんでいた。
点滴は、水分補給程度のものだけしかしていなかったので、
大丈夫なのか?と思ったのだけれど、医師の処置だし、今は不要なのかな?と。
義父は、眠っている様子で、話しかけても、体をトントンしても、
目覚めることはなかった。
熱が37.8くらいあったので、氷枕をしてもらった。
熱があるのと、食事をとれてないから、体力が弱っているのと、
もしかしたら、何か点滴に薬が入っているのかも?で
体が弱っているので、眠りを欲しているのかもしれないな~と。
でも、もう、ここしばらく意識が混沌としている義父。
その翌日にここの病院の医師から子供たちが呼ばれていたので、
義兄・義姉・義母で話を聞きに行ったところ、
延命治療をどうするか?という話だったらしい。
そして、「よくなることはない」といわれたらしい。
高カロリーの点滴の話や、いろうの話もなかったようなので、
今の状態ではそれらの処置は難しいのかもしれない。
しかし、あの点滴だけでは、体力が低下していくばかりで、
どのくらいもつのだろうかと、思った。
具体的な報告はなかったので、医師からもこちらからも聞かなかったのだろう。
今後のことを心づもりしなくてはいけない段階にきている。
#
by ebisuke1014
| 2017-05-02 22:33
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