kokoroのtubuyaki (えびすけの裏日記)
2019-01-10T00:24:19+09:00
ebisuke1014
ちょっといいにくいことなんかを、こっそりこちらに書いてます。
Excite Blog
お正月
http://uraebisuke.exblog.jp/27389061/
2019-01-10T00:24:00+09:00
2019-01-10T00:24:19+09:00
2019-01-10T00:24:19+09:00
ebisuke1014
未分類
高齢になって疲れやすくなった義母なので、もうおせち料理も作らなくてもいいと言っていたのですが、
31日に帰省した時には、すでに、おせち料理も作り終えていました。
ご近所さんの分もなので、二軒分。しかもありあまる量でした。
お重に詰めるのは私の担当なのですが、入らなくて苦戦しました(笑)
やはり、お正月は子供たちも皆帰ってくるので、義母もはりきるのでしょう。
気もはっているのか元気そうに見えました。
話していることもしっかりしているし、忘れっぽいのはあったけど、いつもの程度だったし、
疲れやすくはなってても、あれやこれやと動いてはつらつとしていました。
でも、いざ私たちが帰る段になると、急にさびしくなったのか、
泣き顔になってしまいました。
帰ってから「着いたよ」のコールでも、まだ泣き声でした。
お正月は、義姉夫婦や、義兄夫婦も来て、にぎやかだったのに、
急に皆がいなくなってしまって、家の中がシーンとしてしまったので、
嬉しかった分、寂しくなってしまったんだと思います。
私たちが長く居たのも、寂しさを強めたのかもしれません。
でも、どちらにしても寂しさは感じるのかもしれません。
長くいてくれてありがとう!と感謝してくれましたが、
逆に悪かったかなとも思います。
やっと、義父の死後1年の月日であまり泣かなくなった義母なのに、
少し逆戻りしてしまったかもしれません。
忙しいことや気をはることも大事だと思いますが、
反動で、これからの平日をボーーーっと過ごしてしまわないか少し心配になります。
また、帰れる時にはちょくちょく帰るようにしないとな、と思います。
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義母のこと
http://uraebisuke.exblog.jp/27270021/
2018-12-16T01:39:00+09:00
2018-12-16T01:39:19+09:00
2018-12-16T01:39:19+09:00
ebisuke1014
介護のこと
来年の5月頃には早くも三回忌を行う予定です。
義父が亡くなってから気落ちしている義母を心配して、
義姉は、毎週の様に帰省をしてくれていたのですが、
その義姉から、最近義母の様子が少しおかしいとの連絡がありました。
(義母が)言ってることが分からない時があるそう。
あと、火をつけっぱなしにしてることがあり、危険とか。
先月の連休に久しぶりに帰省したのですが、私が見るかぎり、さほどおかしなことはありませんでした。
言っていることも、ちゃんとしていました。
が、私たちが帰省中にも、火のつけっぱなしがありました。
以前から、火のつけっぱなしがあったので、ガスはやめて、IHにした方がいいのでは?という話はあって、
帰省した時に、一緒に電気屋さんに見に行ったばかりでした。
IHにするには、まず取り付けできるかどうかとか、家を見てもらわないといけないし、
工事も必要になるので、その日は見に来てもらって見積もりをとる段取りだけしました。
費用もかかりますし、工事も必要になるので、義母も遠慮して「気を付けるから、大丈夫」と言うのですが、
その矢先に、火をつけっぱなしで、うたたねしてしまってたので、
これはもう、絶対にガスは危険だと思いました。
本格的なものでなくても、今は、簡易なものもありますし、
火力は低いですが、それなら普通のコンセントですぐに利用もできるし、
そういうのでもいいかもしれません。
石油ストーブも使っているので、それも火事の危険性があるので、気になります。
(昨年は、石油ストーブの横で転んだと聞いて、石油ストーブの上のやかんにひっかからなくて良かったと思ったと同時にすごくこわかったです)
なんせ、日頃は一人なので、やはり心配です。
週末には義姉が泊ってくれますが、やはりずっと一緒に暮らしてる訳ではないので。
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義父、逝く。
http://uraebisuke.exblog.jp/24383177/
2017-06-09T00:24:00+09:00
2017-06-09T00:24:10+09:00
2017-06-09T00:24:10+09:00
ebisuke1014
未分類
その矢先、金曜日の夕方、義母から義父が危篤との連絡が入った。
食事をとれなくなって入院してから約1ヶ月。
ネットで調べたところ、個々の体力にもよるけど、点滴だけでは2週間から2ヶ月程度と書いてあったし、
義父の痩せ細った体と混迷した意識状態を見ていると、その日は近いのではないかと思っていた。
でも、そんな中でも、時々反応があったりして、そのような報告を義姉から聞いていたので、
状態は安定しているように思っていた。
正直、いつどうなってもおかしくはないと思っていたけれど、
いざ、そうなると慌てるもので、飛んで病院へと向かった。
他の兄弟はみな揃っていて、私たちが一番最後だったが、
義父はまだ頑張ってくれていて、その晩はそのまま超えた。
翌日、また兄弟や義母で、交代しながら日中見守り、夜は義姉と姪っ子が病院へ泊ってくれることとなっていたので、
夜8時過ぎ頃、そろそろ義母と私たち夫婦は実家へ帰ろうかと病室を後にした。
義父はもう、呼びかけにもなにも反応しない状態が続いていたが、
脈拍や血圧が低下したり、また少し戻って安定したりを繰り返していた。
帰る間際に数回あくびを繰り返していて、
そのあと、眉間にしわを寄せていた。
お父さん眠たいのかなぁ?寝てるのにね~~。なんて言いながら、
でも、眉間にしわ寄せてしんどそうと、額をなでたりしていたのだが、
病院を後にして数分後、病院の義姉から電話があり、「すぐに戻ってきて!」と。
病院についたときは、もう心配停止状態だった。
義姉に見守られ、最後のあくびのあと、苦しそうな顔をして息をひきとったそうだ。
たぶん、一番心配していた義姉に見守っててもらいたかったのでは?と思った。
入院から1ヶ月。人生を全うするのはやはり大変なことだと思った。
見守る方もつらいが、本人もつらかったろうと思うと、
私は、寿命を全うした義父にお疲れ様と言いたかった。
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その後GW
http://uraebisuke.exblog.jp/24159015/
2017-05-08T23:05:00+09:00
2017-05-08T23:05:45+09:00
2017-05-08T23:05:45+09:00
ebisuke1014
介護のこと
容体はあまり変わらないが、熱は下がっている様で、眠っている。
その日は比較的反応があり、眠っているながらも、まぶたを開けようとする動きが見てとれたり、
手足がよく動いていたり、口元も何か言いたそうに動いていたりした。
ただ、覚醒することはなく、はっきりと聞き取れるほどの発語もなかった。
実家に泊り、また帰宅するときに病院へ寄ったが、
この時は、直前に義姉が見舞っていたせいか、
疲れていたのか、反応がほとんどなかった。
状態はあまり変わらない様に思うが、入院してから現在2週間程度。
あの点滴でどれだけ補えているのだろうか。
見た感じはしんどそうではないので、それは救いなのだけれど、
本人はどのように感じているのだろうか・・・
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義父が入院
http://uraebisuke.exblog.jp/24142322/
2017-05-02T22:33:00+09:00
2017-05-02T22:33:31+09:00
2017-05-02T22:33:31+09:00
ebisuke1014
未分類
安心していたのだが、
1週間ほどしてからか、ここ数日ご飯を食べないので、入院させますとのこと。
義母と義姉が付き添い、提携の病院へ入院となった。
その時は、ほんとにげっそりと痩せて、変な顔色だったと、
義母が振り返って報告してくれたのだが、
入院翌日には点滴のおかげが、顔色が戻り元気そうに見えたとのこと。
そう報告を受けていたので、その週は私たちもさほど心配はしていなかった。
そしてその週末、病院へ義父を見舞うと、
驚くほど痩せており、手足は触るのが怖いくらい。
仰向けに寝たお腹は、くぼんでいた。
点滴は、水分補給程度のものだけしかしていなかったので、
大丈夫なのか?と思ったのだけれど、医師の処置だし、今は不要なのかな?と。
義父は、眠っている様子で、話しかけても、体をトントンしても、
目覚めることはなかった。
熱が37.8くらいあったので、氷枕をしてもらった。
熱があるのと、食事をとれてないから、体力が弱っているのと、
もしかしたら、何か点滴に薬が入っているのかも?で
体が弱っているので、眠りを欲しているのかもしれないな~と。
でも、もう、ここしばらく意識が混沌としている義父。
その翌日にここの病院の医師から子供たちが呼ばれていたので、
義兄・義姉・義母で話を聞きに行ったところ、
延命治療をどうするか?という話だったらしい。
そして、「よくなることはない」といわれたらしい。
高カロリーの点滴の話や、いろうの話もなかったようなので、
今の状態ではそれらの処置は難しいのかもしれない。
しかし、あの点滴だけでは、体力が低下していくばかりで、
どのくらいもつのだろうかと、思った。
具体的な報告はなかったので、医師からもこちらからも聞かなかったのだろう。
今後のことを心づもりしなくてはいけない段階にきている。
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看取り
http://uraebisuke.exblog.jp/24087288/
2017-04-13T23:53:00+09:00
2017-04-13T23:53:00+09:00
2017-04-13T23:53:00+09:00
ebisuke1014
未分類
義母に話をして、義母を憂鬱にさせたのは、施設の人ではなく、医師であったそうで、
義母だけでは話がつかないので、子供たちにも来てほしいとのことだった。
その医師は木曜日にしか施設に来ないので、
看護師が日曜日に居るので、代わりに看護師から子供たちへ話をする、ということで皆で行った。
入所の時に、ここで最期まで看てほしいという希望を書いていたので、
義父が微熱が続き、その際医師が「誤嚥性肺炎」だと診断し、
その治療を行っていたのだが、
一つ目の抗生剤が効かなかったので、別の抗生剤を投与しているが、
万一効かなかった場合は、
当初の家族の希望どおり、現在の往診の医師ではなく、
終末期の医師へと引き継ぐがよろしいですか?という確認であった。
確かに入所の際、最期までここで看てほしいとは書いた様だが、
微熱が続いていて、点滴をしている。
ということくらいしか聞いていなかった私たちは、
いきなり「終末期」と言われてびっくりしてしまった。
終末期の先生に引き継ぐ=もう治療はしない=そのまま看取る
というようなイメージだからだ。
え、もっと何かできないのか?効かなかったらもうおしまいなのか?
そこで義姉が、せめて病院でレントゲンだけでも撮ってもらえませんか?
とお願いした。
その日はそこで話は終わり・・・、
翌日家族付き添いのもと、提携の病院へ行きレントゲンを撮ってもらった。
何と、肺炎ではないと言われたらしい。
・・・・・・・
肺はキレイですと。血液検査もしてくれたが、問題無いそうで、
ということは、あの「誤嚥性肺炎」の診断は、単なる憶測だったのか。
微熱が続いている。日頃からよくむせている。
老人である。そんな条件から決めつけていただけではないのか。
その後、熱も下がっている様子で、施設からもそのことに関しては連絡がなかったので、安心していたのだが、
またもその往診の医師から突然、明日の5時に子供たちに来てほしいと
義母のところに連絡があった。
とは言え、そんな急に言われても、皆仕事をしているし、すぐに行ける距離でもないので断り、とりあえず義母が行くことになり、今日行ってきたのだが、
その入所の時に書いた「最期までここで看とってほしい」という希望を変更してはどうですか?ということだったらしい。
急に呼びつけておいてそれだったのか・・・と。
その医師に対しては、実はいろいろ不信な点があるのだが、
今の施設にお世話になっている以上仕方がない。
何だか、まだこの先もいろいろありそうな予感だ。
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義父のこと
http://uraebisuke.exblog.jp/24060690/
2017-04-07T23:29:00+09:00
2017-04-07T23:29:09+09:00
2017-04-07T23:29:09+09:00
ebisuke1014
介護のこと
前回の面会で、確実にそう思った。
前々回の面会では、会話はできたのだが、相手が私たちだとは認識していなかった。
前回の面会では、うとうととしていて、呼びかけても、体に触れても、
外からのいろんな刺激を与えても、結局一度も覚醒しなかった。
一緒に行った義母はそんな義父の様子にとてもショックを受けている様子だったが、
私は自分の母のことを思い出し、どこか冷静に見ていた。
きっと、これからこういうまどろんだ時間の中に義父は生きていくのだろうと。
それから数週間経って、義父が微熱が続いていて、点滴を受けているという連絡があった。
こういう状況って一気に弱っちゃうんだよなぁ。。。と、心配していたのだけれど、
義母が近所の人と面会に行ったら、
思いのほか元気な様子で、しかも、その近所の人の名前もちゃんと出たし、
義母のことも認識したそうだ。
すごい。前回のあの様子からしたら、格段の違いだ。
嬉しい誤算であったが、
連絡をくれた義母の声は沈んでおり、
今度このようなことがあった場合の処遇について、施設側からいろいろ言われたそうだ。
詳しいことは分からないけれど、義母はそのことで答えが出せず、悩んでいる様子だった。
今週末子供たちを呼んで施設側と話し合うらしい。
義母と義兄と義姉とが行ってくれる。
私たちも行けたらいくが、主人の仕事の都合で分からない。
義母はとてもとても心配性というか、思い悩むタイプなので、
いろんなことは子供たちに任せてくれればいいと思う。
義母がまいってしまいそうでそちらの方が心配だ。
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解決策
http://uraebisuke.exblog.jp/23811868/
2017-01-30T23:32:00+09:00
2017-01-30T23:34:37+09:00
2017-01-30T23:32:20+09:00
ebisuke1014
自分のこと
と思っていたのだけれど、
ひょんなことから答えが得られました。
会社の同僚に話した時にも出た様に、
要は主人は「甘えん坊」なのです。
そこで、主人のお小言をそのまま聞いていると、
こちらとしても、反論もしたくなるし、理解して欲しいという気にもなる。
だけど、要は「自分が休みの時に私が外出しているのが嫌」つまり、
自分が休みの時は私にも家に居てほしい。
という単なるわがままというか、甘えな訳です。
別にいなくてはいけない理由は無いのですから。
なので、いろんなイヤごとも、結局は「寂しい」とか「一緒に居て欲しい」とか
そういうことの反動であるというフィルターを通して聞けば、
腹も立たなくなります。
言葉をストレートに聞くのではなく、変換して聞くくらいの余裕があれば、
「勝手してごめんね。」とかいう言葉も素直に出てくるわけです。
そして、「自由にさせてくれてありがとう」という感謝の言葉も出てくるわけです。
家のことをほっといて、遊んでばっかり!
と文句言われると、こちらも腹が立ちますが、同じように腹をたてていては、
こじれるばかりですから、一枚うわてになって「ごめんね」と言えればうまくいくのでは・・・
という結論に達しました。
とあるラジオをヒントに(^.^)
こう考えると気分が楽になりました。
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面倒くさい
http://uraebisuke.exblog.jp/23811856/
2017-01-30T23:25:00+09:00
2017-01-30T23:29:00+09:00
2017-01-30T23:25:51+09:00
ebisuke1014
自分のこと
私はもう長いこと書道を習っていて、結構本気モードでやっていて、
なので、お稽古の日以外でも書道絡みで時間をとられることが多い。
例えば、自宅での練習。
展覧会へ出品の際は、添削会や選別会への出席。
所属書道団体の練成会や教室のお稽古日以外の勉強会。
受賞したら授賞式や懇親会などなど。
このことに関して主人があまりいい顔をしない。
ある一定の理解はあるのだけれど、たとえば週末に書道絡みで出かける日が続くと、
「家のことをほったらかして遊びすぎ!」となる。
趣味≒遊び
という言われ方になる。
私的には生涯の趣味として、またゆくゆくはその道で生きていくというか、
それを仕事としたいという目標があるので、
遊びというよりは、学びという感覚で、
働きながらも、しんどいながらやっている。
なので、「遊んでいる」という表現は今までもちょっと不本意なんだけど、
書道でお金を稼いでいないという現状では、
仕事ではないので、あまり大きな顔もできず、
「遊び」と言われてもを強く否定できずにいた。
土曜日が稽古なのだけれど、基本的にその日は一日書道を書いている。
で、日曜日に書道の関係ででかける用事が入るときがある。
そして、今回主人が土曜日に義父の見舞いに行くつもりにしていたらしく、
私がでかけるというと、「いい加減にしてほしいわ!!!」と激怒し、
日頃の不満を爆発させた。
土曜日に入っていた予定がたまたま、他所の社中展を見に行くというものだったので、
ドタキャンさせてもらったから、少し気がおさまったみたいだけど、
まー、機嫌が悪かった。
これから、習い続けて、資格があがればあがるほど、教室以外に出ていくことも増えていくのに、どうしたものか・・・と悩まされる。
会社の同僚にこの話を相談したら、
「甘えん坊やねんね」という答えにおさまった。
うちには子供もいないので、
土日に私が家にいないといけない理由はなく、
ただ単に主人が私が外出するのが気にいらないというだけの話なので、
そういう結論になったのだ。
私が自分の趣味で勝手するのが気に入らないなら、自分も勝手にすればいいと思うんだけど、
そうしないのは、きっとそいういことではないんだと思う。
結局は私に「家にいてほしい」ということだと思う。
それが何となくわかっていたので、私は書道以外の遊びは土日にはめったなことではいれず、自粛してきたから、
せめて書道関係のことでは出して欲しいという気持ちもあるし、
別に遊び歩いている訳じゃないし・・・という気持ちもあって、
なんだか、そこに温度差がある。
義父を見舞いたいのなら、勝手に行けばいいのに。とか冷ややかに思ってしまう。
それこそそっちの予定なのに、
その予定に私を連れていこうとするから、ややこしくなるし、
そこが「甘えん坊」と言われる所以だと思う。
私の親が施設に入っているときに、私は一人でいつも面会に行ってたではないか。
なのに、自分の親を見舞うときはいつも私を同伴させる。
なんかそんなことまで思い始めて、イヤな気分になった。
別に義父の見舞いにいくのが嫌なわけではないけど、
それがためにこんなに怒られるのは、面倒くさいなって思ってしまう。
そういう人を選んでしまったのだから、今更の話なんだけど・・・。
先日、「おもいやり」のためには想像力を・・・と書いたところだけど・・・
できれば仲良く、そして彼の意にも添いたいけれど、
自分の夢や想いも通したいし、
困ったもんだな~って。
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義母
http://uraebisuke.exblog.jp/23809695/
2017-01-29T21:34:00+09:00
2017-01-29T21:34:29+09:00
2017-01-29T21:34:29+09:00
ebisuke1014
介護のこと
実は昨年末もそうだったのだけれど、
入室はできなかったんだけど、スタッフさんが義父を居室フロアーから連れてきてくれて、
裏玄関(?)入ってすぐのところで、面会が可能だった。
義父は2階に居るのだが、3階の利用者さんで発症したらしく、まだ1階での面会はOKだったのだ。
ところが、昨日は1階でインフルエンザ患者が出たらしく、
1階での面会も全面禁止となってしまった・・・・
まさか、あまり考えてなかったので、せっかく行ったのに義父に会えずじまいで終わってしまった。
義父の生活の刺激に少しでもなりたかったのに・・・
その後、実家へ寄り義母の様子も見てきた。
ちょうど義姉が泊りにきてくれていた。
義姉も義母が心配な様で、隔週で泊りにきているらしい。
義母は、少し思い病むタイプなので、義父の入院当初はちょっと鬱気味だったらしく、
その時は毎週通っていたそうだ。
今は隔週というが、それでも、隔週で週末泊りに来るのは大変なことだと思う。
そして2日に1回は安否確認かねがら、電話しているらしい。
こういうときってやっぱり頼りになるのは娘だよねって思う。
田舎だから、ご近所とのかかわりも深くて、ひきこもることはなく、
忙しくしてはいるけれど、
それでも、気落ちしてしまう様だ。
義姉が来ない週末は、電話で話しててもどんどんトーンダウンしてしまうらしい。
もともと心配性の義母だから、心配が尽きないのだと思う、
一人になって気弱になっているのかもしれない。
義父が特養に入所して、少し解放されれば良いと思うのに、
そういうものでもないらしい。
案外、依存していたのかもしれないな、と思う。
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想像力
http://uraebisuke.exblog.jp/23804134/
2017-01-26T23:20:00+09:00
2017-01-26T23:20:47+09:00
2017-01-26T23:20:47+09:00
ebisuke1014
その他
一周忌の準備は大変だったけど、おかげさまで滞りなく終わりました。
その際、義母が参列してくれたのですが、
食事の席で、伯母と義母が話していていた時のことです。
義父のこともあって、ちょくちょく見舞いへ行くようにはしていて、
義父が入院しているものだから義母の様子も心配で、
実家へも寄ったりしていました。
主人にはほかに兄と姉がいますが、子供のいない我が家は比較的都合がつけやすく、
盆正月、GWなど、必ず帰省していました。
義母が自宅に一人になった今はことさらです。
で、母は喜んでくれていたのですが、
喜んでくれている分、私たちが帰った後、さびしくてたまらない。。
と言っているのを聞いてしまいました。
そうか・・・・と、グサリときました。
想像力が足りませんでした。
喜ばそうということばかり考えていて、考えが及んでいませんでした。
思いやりをもつには、想像力が必要なのに(+o+)
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義父の様子
http://uraebisuke.exblog.jp/23788583/
2017-01-19T03:36:00+09:00
2017-01-19T03:36:12+09:00
2017-01-19T03:36:12+09:00
ebisuke1014
介護のこと
昨年2月に軽い脳梗塞で入院し、すぐに退院したのだけれど、
その後脳出血をおこし、再入院。
この脳出血の後遺症で一時期、失語症の状態でしたが、
徐々に回復し、言葉も出るようになり、会話もできるまでになりました。
しかし、認識が曖昧なのは100%戻らず、
子供達の顔を見ても、顔と名前が一致しないとか、
話が通じるような通じないような・・・という状態が続いています。
入院が長引いたせいもあり(ふらつきの危険があるので、歩くのを控えていたこともあって)、
足の筋力が衰えてしまい、
プラス、後遺症のせいか、足に力が入らなくなってしま い、
歩けなくなってしまいました。
歩けないこと以外は、治療は必要の無い状態になりましたが、
リハビリのため病院に最長の3ヶ月ほどいさせてもらい、
結局歩くのはかなわなかったので、
自宅へは戻れず、病院から特養へと移ることになった次第です。
面会にいくと、その時その時で、しっかり具合は様々。
顔を見て認識してくれる時もあれば、最後まで分からない時もある。
最近残念なことは、耳が本当に遠くなってしまい、
いくら大きな声でゆっくり耳元で話しても通じないことです。
声が届かないので、ゼスチャーとか、筆談とかでコミュニケーションとるようにしています。
疲れるのか眠いのか、すぐに眠ってしまうようにもなりました 。
以前のように、看護師さんや先生に悪態をつくことはなくなりましたが、
おとなしくなりすぎて、それはそれで寂しくもあります。
今はコミュニケーションもとりづらくなっているので、
日中も施設で寝ている時間が多いと思います。
しかし、義父の今の状態では、「生活に刺激を」というのは難しいと思います。
でも、家族にも皆生活があるから、「できるだけ会いに行くこと」くらいしかできないですね。
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今度は脳出血
http://uraebisuke.exblog.jp/22962762/
2016-03-09T20:30:29+09:00
2016-03-09T20:30:29+09:00
2016-03-09T20:30:29+09:00
ebisuke1014
介護のこと
10日ほどで退院したのだけれど、
退院から1ヶ月と経たないうちに、
今度は脳出血とのことで、
また入院となった。3月6日のことだ。
少し調べてみたら、脳梗塞からの脳出血って
あることはあるらしい。
梗塞の治療をすると、脳出血のリスクがあるみたい。
私は、医師からの説明も聞いていないので、
詳しいことは分からないけれど、
手術はできないそうだし、しばらくは入院するみたいだけど、
また自宅に戻ることになりそうだ。
だけど、自宅での生活は目が離せなくなるし、
脳出血はまた繰り返すこともあるらしいし、
力が入らなかったり、転んだり、娘のことが認識できなかったりと、不安要素がたくさんで、
自宅で義母が義父を看ることはキビシイ状態だと思う。
今日、義母と義姉が医師と話していると思うが、どうなるかな。
一度破れた血管は戻らないというし、
出血が止まったとしても、危うい状態が続く訳だから、日々の生活も心配になってくる。
義父は混乱しているのか、脳出血のせいなのか、前から疑われている認知症が進んだのか、
何を聞いても「分からない」と言うらしいし、
何といっても、義姉のことが分からなかったということだから、びっくりだ。
状況や体の具合が落ち着いたら、
気持ちも戻ってくれればいいのだけれど。
週末にでも様子を見に行くつもりだが、
どういう状態か、こちらも不安だ。]]>
四十九日法要
http://uraebisuke.exblog.jp/22941080/
2016-03-03T02:24:00+09:00
2016-03-03T02:24:35+09:00
2016-03-03T02:24:35+09:00
ebisuke1014
介護のこと
本当は、四十九日まで七日ごとに法要をする様なのですが、
その日が常に平日ということもあり、省略させてもらい、
四十九日だけにしてもらいました。
父親の時は、叔母に言われるまま、
七日ごと、近所の親戚も集まって、法要を続けました。
そのときは、姉がまだ専業主婦だったことや、
子供がまだ学校にも行ってなかったこともあり、
私は勤めていましたが、それでも何とか毎週おつとめすることができたのだと思います。
七日ごとの法要の翌日にはお墓参りをするそうです。
父親の時にしていたか、記憶が定かではありませんが。
でも、これも平日のため、叔母達が七日ごと、お墓参りをしてくれました。
父親の時に一通りしてきているはずなのに、
ほんとに、記憶が曖昧で嫌になってしまいます(笑)
四十九日当日も、お供えのお膳(御料具膳というのですかね)を用意するのを
分かっていなくて、叔母が心配して朝から来てくれて、手助けしてくれました。
ちょっとバタバタしましたが、それ以外は、何とかつつがなく終えることができたのではないかとおもいます。
叔母がいろいろと世話をやいてくれるおかげで、
(四十九日餅や、お膳の準備、塔婆の準備等)滞りなく済ませられました。
やっと、少しひと段落ですが、次は初盆、そして一周忌です。
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初月忌
http://uraebisuke.exblog.jp/22878249/
2016-02-14T01:51:00+09:00
2016-02-14T01:51:08+09:00
2016-02-14T01:51:08+09:00
ebisuke1014
介護のこと
母が亡くなってまだ1ヶ月しか経っていないのに、
ものすごく昔のことのように思える。
2年前に緊急入院して、今晩がやまですと言われたあの時から、
覚悟は出来ていると思ってはいたけれど、
それから後はほとんど、意識もない状態が続いたけど、
それでも、やっぱり生きていてくれるのと、
そうでないのとでは違うと思っていたのだけれど、
たぶん、長い時間母を見ていたためか、
いつの間にか、心の整理ができていたんだと思う。
今はただ、淡々とやるべきことを一つずつこなしている日々だ。
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