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kokoroのtubuyaki (えびすけの裏日記)

カテゴリ:介護のこと( 226 )




義母

昨日、義父を見舞ったのだが、インフルエンザ患者が出たので、面会できなかった。
実は昨年末もそうだったのだけれど、
入室はできなかったんだけど、スタッフさんが義父を居室フロアーから連れてきてくれて、
裏玄関(?)入ってすぐのところで、面会が可能だった。
義父は2階に居るのだが、3階の利用者さんで発症したらしく、まだ1階での面会はOKだったのだ。

ところが、昨日は1階でインフルエンザ患者が出たらしく、
1階での面会も全面禁止となってしまった・・・・

まさか、あまり考えてなかったので、せっかく行ったのに義父に会えずじまいで終わってしまった。
義父の生活の刺激に少しでもなりたかったのに・・・

その後、実家へ寄り義母の様子も見てきた。
ちょうど義姉が泊りにきてくれていた。

義姉も義母が心配な様で、隔週で泊りにきているらしい。
義母は、少し思い病むタイプなので、義父の入院当初はちょっと鬱気味だったらしく、
その時は毎週通っていたそうだ。

今は隔週というが、それでも、隔週で週末泊りに来るのは大変なことだと思う。
そして2日に1回は安否確認かねがら、電話しているらしい。

こういうときってやっぱり頼りになるのは娘だよねって思う。

田舎だから、ご近所とのかかわりも深くて、ひきこもることはなく、
忙しくしてはいるけれど、
それでも、気落ちしてしまう様だ。
義姉が来ない週末は、電話で話しててもどんどんトーンダウンしてしまうらしい。

もともと心配性の義母だから、心配が尽きないのだと思う、
一人になって気弱になっているのかもしれない。

義父が特養に入所して、少し解放されれば良いと思うのに、
そういうものでもないらしい。

案外、依存していたのかもしれないな、と思う。

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by ebisuke1014 | 2017-01-29 21:34 | 介護のこと | Comments(0)

義父の様子

昨年から記事を書いていませんでしたが、義父は現在特養に入っております。

昨年2月に軽い脳梗塞で入院し、すぐに退院したのだけれど、
その後脳出血をおこし、再入院。

この脳出血の後遺症で一時期、失語症の状態でしたが、
徐々に回復し、言葉も出るようになり、会話もできるまでになりました。

しかし、認識が曖昧なのは100%戻らず、
子供達の顔を見ても、顔と名前が一致しないとか、
話が通じるような通じないような・・・という状態が続いています。

入院が長引いたせいもあり(ふらつきの危険があるので、歩くのを控えていたこともあって)、
足の筋力が衰えてしまい、
プラス、後遺症のせいか、足に力が入らなくなってしま い、
歩けなくなってしまいました。

歩けないこと以外は、治療は必要の無い状態になりましたが、
リハビリのため病院に最長の3ヶ月ほどいさせてもらい、

結局歩くのはかなわなかったので、
自宅へは戻れず、病院から特養へと移ることになった次第です。

面会にいくと、その時その時で、しっかり具合は様々。
顔を見て認識してくれる時もあれば、最後まで分からない時もある。

最近残念なことは、耳が本当に遠くなってしまい、
いくら大きな声でゆっくり耳元で話しても通じないことです。

声が届かないので、ゼスチャーとか、筆談とかでコミュニケーションとるようにしています。

疲れるのか眠いのか、すぐに眠ってしまうようにもなりました 。

以前のように、看護師さんや先生に悪態をつくことはなくなりましたが、
おとなしくなりすぎて、それはそれで寂しくもあります。

今はコミュニケーションもとりづらくなっているので、
日中も施設で寝ている時間が多いと思います。

しかし、義父の今の状態では、「生活に刺激を」というのは難しいと思います。

でも、家族にも皆生活があるから、「できるだけ会いに行くこと」くらいしかできないですね。

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by ebisuke1014 | 2017-01-19 03:36 | 介護のこと | Comments(0)

今度は脳出血

2月2日に義父が軽い脳梗塞を起こして入院し、
10日ほどで退院したのだけれど、

退院から1ヶ月と経たないうちに、
今度は脳出血とのことで、
また入院となった。3月6日のことだ。

少し調べてみたら、脳梗塞からの脳出血って
あることはあるらしい。

梗塞の治療をすると、脳出血のリスクがあるみたい。

私は、医師からの説明も聞いていないので、
詳しいことは分からないけれど、

手術はできないそうだし、しばらくは入院するみたいだけど、
また自宅に戻ることになりそうだ。

だけど、自宅での生活は目が離せなくなるし、
脳出血はまた繰り返すこともあるらしいし、
力が入らなかったり、転んだり、娘のことが認識できなかったりと、不安要素がたくさんで、

自宅で義母が義父を看ることはキビシイ状態だと思う。

今日、義母と義姉が医師と話していると思うが、どうなるかな。

一度破れた血管は戻らないというし、
出血が止まったとしても、危うい状態が続く訳だから、日々の生活も心配になってくる。

義父は混乱しているのか、脳出血のせいなのか、前から疑われている認知症が進んだのか、

何を聞いても「分からない」と言うらしいし、
何といっても、義姉のことが分からなかったということだから、びっくりだ。

状況や体の具合が落ち着いたら、
気持ちも戻ってくれればいいのだけれど。

週末にでも様子を見に行くつもりだが、
どういう状態か、こちらも不安だ。
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by ebisuke1014 | 2016-03-09 20:30 | 介護のこと | Comments(0)

四十九日法要

2月28日(日)無事に母の四十九日法要が終わりました。
本当は、四十九日まで七日ごとに法要をする様なのですが、
その日が常に平日ということもあり、省略させてもらい、
四十九日だけにしてもらいました。

父親の時は、叔母に言われるまま、
七日ごと、近所の親戚も集まって、法要を続けました。

そのときは、姉がまだ専業主婦だったことや、
子供がまだ学校にも行ってなかったこともあり、
私は勤めていましたが、それでも何とか毎週おつとめすることができたのだと思います。

七日ごとの法要の翌日にはお墓参りをするそうです。
父親の時にしていたか、記憶が定かではありませんが。

でも、これも平日のため、叔母達が七日ごと、お墓参りをしてくれました。

父親の時に一通りしてきているはずなのに、
ほんとに、記憶が曖昧で嫌になってしまいます(笑)

四十九日当日も、お供えのお膳(御料具膳というのですかね)を用意するのを
分かっていなくて、叔母が心配して朝から来てくれて、手助けしてくれました。

ちょっとバタバタしましたが、それ以外は、何とかつつがなく終えることができたのではないかとおもいます。
叔母がいろいろと世話をやいてくれるおかげで、
(四十九日餅や、お膳の準備、塔婆の準備等)滞りなく済ませられました。

やっと、少しひと段落ですが、次は初盆、そして一周忌です。

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by ebisuke1014 | 2016-03-03 02:24 | 介護のこと | Comments(0)

初月忌

日付かわっちゃいましたが、2月13日は、初めての月命日。

母が亡くなってまだ1ヶ月しか経っていないのに、

ものすごく昔のことのように思える。


2年前に緊急入院して、今晩がやまですと言われたあの時から、
覚悟は出来ていると思ってはいたけれど、

それから後はほとんど、意識もない状態が続いたけど、

それでも、やっぱり生きていてくれるのと、
そうでないのとでは違うと思っていたのだけれど、

たぶん、長い時間母を見ていたためか、
いつの間にか、心の整理ができていたんだと思う。

今はただ、淡々とやるべきことを一つずつこなしている日々だ。

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by ebisuke1014 | 2016-02-14 01:51 | 介護のこと | Comments(0)

義父の様子

先週の火曜日2月2日に軽い脳梗塞で緊急入院した義父の様子を見てきました。

病院を行ったり来たりしなければいけない、義母のことが心配だったのですが、
さらに、「夜は家族が付き添ってほしい」という病院からのお願いがあり、
入院以来、順番に義兄や義姉、義母が交代で泊まり込んでいると知り、
またその理由が、「夜、騒いだり、暴れたりするから・・・」と聞いていたので、
若干気が重くなりながら、病院へ向かいました。

結果、義父、元気でした。

入院当初は、何故自分が入院しなければいけないのか納得がいかず、
暴れたりしたらしく、集中治療室へ入ったのですが、そこで、体を拘束されたみたいです。

やはり脳梗塞ということもあり、勝手に動いたりするのが危険なので、
日中は看護師さんの目が届くので良いが、夜は家族がつきそってほしいということが、
理由だったみたいです。

日中も家族が居ないときは、ナースステーションに車いすに座っているのですが、
その時に、ベルトをされるのが、ものすごく嫌みたいで、
またそれで騒ぐというか、怒るみたいなのです。

最初に暴れて拘束されたのが、トラウマになったのか、
車いすのベルトも、「縛られる」という感覚で、
「罪悪人の様に縛り付けられる。」という思いなのです。

「危ないからね」と説明しても、いやだという思いはかわらないみたい。

そんなすったもんだの入院当初の数日が過ぎたのですが、
今日私が行った5日目はすっかり落ち着いていて、
ちょうど退院の日取りが決まったのも相まって、
とても機嫌がよく、精神状態も落ち着いていて、いつもの笑顔の優しい義父でした。

3週間くらいは入院と聞いていたので、
近くの病院へ早く転院させてほしいとお願いしていたらしいのですが、
思いのほか、転院することもなく、来週には自宅に戻れるそうで、
義父もとても喜んでいました。

結局10日ほどの入院で済みそうで、みな、ほっとしたところです。






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by ebisuke1014 | 2016-02-08 00:39 | 介護のこと | Comments(0)

義父が軽い脳梗塞

2月2日夜 主人の実家から電話があった。
義父がデイサービス中に、様子がおかしくなり、救急車で病院に運ばれ、
結局、軽い脳梗塞をおこしていたとのこと。

幸い、軽いものだったので、命に別状もなく、
手術もせずに、薬等で治療していくとのこと。

デイサービスに行っている最中のことだったので、
介護士さん達も居て、すぐに病院へ運んでもらえたのは、本当にラッキーだった。

「軽い」といえども、発見が遅かったりしたら、やっぱり、危ないこともあっただろうし。

義父も、病院で「家に帰る!」とか言って、騒いでいるそうなので、困ったもんだと思いつつ、
まぁ、そんなこと言えるってことは元気なんだなと安心したり・・・・


大事なかったとはいえ、とりあえず、3~4週間ほどは入院になるそうだ。

義父は、病院だから安心だが、
義母の方が参りやしないかと、そちらの方が心配だ。
心配だ。

週末に、様子を見に帰る予定だ。
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by ebisuke1014 | 2016-02-04 14:07 | 介護のこと | Comments(0)

振り返り

 母のことを振り返ってみた。

2000.11 父が亡くなる。この前後から認知症の症状が顕著になる
      心療内科に通いながら、介護認定を取り、介護保険を利用して、デイサービスに通いながら、
      何とか自宅にて生活する。(2年と少し)
2003.2 私が結婚する。この頃になると、母を一人にできない状態になっていたので、実家で同居を始める。
      日中の徘徊が激しくなり、見守りが必要になる。ヘルパーさんや親戚の手もかりて、
      ほぼ1日中見守る状態に。
      (2年と少し)
2005.9 かねてより申し込んでいたグループホームから空の連絡があり、自宅での介護にも限界を感じ、
     グループホームへの入所を決める。
     この頃の進行は早く、だんだん歩けなくなる。あっという間に要介護5となり、
     グループホームでの生活が厳しくなり始める。
     (3年半)
2009.3 特養からの入所受け入れの打診に応じることにする。
     目は開いているが、ものを認識しなくなる。しゃべらなくなる。反応が薄くなる。
     (5年)
2014.4 肺炎で緊急入院する。腸閉塞を併発する。直腸癌と乳がんであろうと診断される。
     命の危機であったが、生命力が勝り、肺炎が回復する。
     (20日ほど)
2014.4 肺炎はおさまったが、食事がとれなくなったため、特養に戻れず、療養型の病院へ転院する。
     栄養は点滴で補い、ほぼ眠っているような状態となる。
     目も閉じる状態が多くなり、起きているのか判別がつかない。
     外からではあまり変わりがなかったが、体内で、癌の転移が早いスピードで進む。
     (2年足らず)
2016.1 直腸癌からの転移による肺がんのため、呼吸不全により亡くなる。

これが、約15年間の経緯だ。
母は父が亡くなった時に、すべてを放棄したかのように見えた。
だから、きっと早く逝きたかっただろうに、長い間なかなか逝けなかったね。

なかなか思うようにはいかないけれど、ゆっくりと、夢と現実の間を行き来するようにして、
だんだんと、別次元で生きてるような母になって、ゆっくりとゆっくりと静かにほんとに別の世界へいったね。
初期のころこそ、不安定で、不安や怒りもあったけど、だんだんととても穏やかになって、
いろんな感情からも解放されて、無になった。

病気でそうなったんだろうけど、なんか母が望んでそうなったように思える。
自ら望んで、別世界へ逃げ込んだかのうようだ。

私のことは、分からなくなってしまったけど、穏やかな母を見ているのは救われた。
私はただ、時が来るまでちゃんと見守ることが自分の使命と考えていた。

死は選べないというけれど、望んでも簡単には死ねない。
やはり人には寿命というものがあるんだろうと思う。

だから、それを全うしなければいけない。そして残るものはそれを見届けなければいけない。

変な言い方だけれど、私はとても穏やかな気持ちだ。
そして母もきっとそうだろうと思う。

やっと逝けたね。よかったね。
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by ebisuke1014 | 2016-01-25 21:23 | 介護のこと | Comments(0)

覚書(怒涛の一週間)その3

一旦、祭場から帰宅後、義母達にお茶をふるまっていると、
お寺さんが来て、親戚たちもやってきて、あわただしく初七日法要が始まってしまった。

遠方から連日でやってきてくれた、義母、義兄、義姉には長時間にわたって
つきあってもらい、家族葬で・・・と思っていたのに、本当に申し訳なかった。

その後は、親戚たちと七日ごとの法要についてや、墓参りについてなど話し合い、
ようやくお開きとなった。

病院から連絡を受けた日曜日から、ずっと気を張っていたので、本当に疲れた。

土曜日は、お墓参りをし、お世話になった病院へ、お礼の挨拶へ行き、
仏壇屋さんへお位牌をこしらえてもらいに行った。
それだけでクタクタだった。

日曜日は、役所関係が休みなので、特に用事はできないので、
泊まってくれていた姉も一旦家に帰り、
私は、うっかり予約を失念していた美容院へ行き、必要な買い物などをして過ごした。

月曜日に姉と市役所や年金事務所へ諸々の手続きを行う。

土地と家の名義変更も、司法事務所を探して相談へ行き、
思いのほか、簡単に手続きが済みそうなので、
即効依頼し案外用事が一日で片付いた。

翌日は、何もせずひたすら眠った。

そして、翌日から会社へ出勤し、私の日常が戻ってきた。

ただ四十九日までは、お灯明をともし、お線香を焚く毎日であり、
母に手をあわす。・・・が、まだまだ実感はわかない。

逆に、今までが自宅から離れて長かったので、今は近くなった気持ちだ。
祭壇があり、遺影を見ていると、なんだか母が近くに感じる。
不思議と寂しさや悲しさはない。
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by ebisuke1014 | 2016-01-22 00:43 | 介護のこと | Comments(0)

覚書(怒涛の一週間)その2

翌日(1/14)、少しゆっくり目に起きると、早々に来客。
母の友人のSさんとKさんが見舞ってくれる。
施設に入る前はよく一緒に遊んでいた方たちだ。
当時Yさんという方もいたが、もう2年ほどまえに他界していたことをここで初めて知った。

残念であり、寂しくもあるが、年齢を考えると不思議ではない。

母も長らく入院していたので、特に友人とのつきあいも無くなっていたので、
親戚以外には連絡していなかったが、こうして聞きつけてやってきてくれて、
ありがたいなと思った。

この日、通夜は夜7時であったが、葬祭場から母の迎えが3時ころにやってくるので、
その時間に私たちも出発する。
その日は、姉と祭場に泊まる予定だったので、その準備やら、
義母が我が家に泊まるのでその準備をしていたらあっという間に過ぎてしまった。

午後3時過ぎ頃から祭場入りし、祭場の準備に立ち会ったり、荷物を運び入れたり、
簡単な打ち合わせ等をしている間にあっという間に通夜が始まる。
式は30分ちょっとであっというまに終わり、通夜の後の食事に入る。

私の会社の人や、私の友人で母を知る(Sちゃん、Uちゃん)、
姉の職場の人などが遅遅にやってきてくれて、ゆっくり話すことができた。

そのままその部屋で私と姉と、姉の子供たちで泊まる。
巻線香はかなり長時間持つので、そんなに消えることを気にしなくても良いのだが、
一応起きておいた方がいいのかと朝方4時ころまでは起きていた。

姉と、母がどこに何年居たかとかを話ながら、夜明かしをした。
まだまだ気ははっているし、母の体もまだそこにあり、
しめやかにというよりも、リラックスしていたように思う。

明日いよいよ体が無くなるのかと思うと、なんだか怖い気がしたが、
とりあえずその時は、安心していたように思う。

朝方ひと眠りして起きてからはまた怒涛のように時間がすぎていった。
式は10時からだったので、あわただしくしたくをしているうちに、
親戚達もやってくるし、また簡単な打ち合わせ等をしている間に、
式が始まり、着々と時は過ぎていった。

最後のお別れで棺にお花を入れるも、あまり実感がわかず。
山のようなお花に埋もれるように、とてもきれいだった。
男手で棺を運んでもらい、私は遺影を抱いて、裏の火葬場へ。

いよいよなのはつらかったが、黙とうしていたため、
扉がほぼしまった時くらいしか見えていなかった。

悲しいのもあったが、精進落としの料理の数が足りないのでは?ということが気になって、
焼き場に向かう頃から気が気ではなかった。
案の定、個数が足りず、慌てる。。。。

すったもんだで、料理を追加し、お菓子やお饅頭の買い出しに走る。
ようやく追加のお料理が届き、自分たちもたべ、一息したら、骨上げの時間に。

父の時よりも骨がボロボロだねと姉は言っていた。

骨上げのあと、初七日法要の予定だったが、お寺さんの都合で、
祭場では行えず、一旦自宅へもどってからとなる。
長い一日である。

→つづく
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by ebisuke1014 | 2016-01-22 00:15 | 介護のこと | Comments(0)

ちょっといいにくいことなんかを、こっそりこちらに書いてます。
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