kokoroのtubuyaki (えびすけの裏日記)

カテゴリ:介護のこと( 228 )




覚書(怒涛の一週間)その3

一旦、祭場から帰宅後、義母達にお茶をふるまっていると、
お寺さんが来て、親戚たちもやってきて、あわただしく初七日法要が始まってしまった。

遠方から連日でやってきてくれた、義母、義兄、義姉には長時間にわたって
つきあってもらい、家族葬で・・・と思っていたのに、本当に申し訳なかった。

その後は、親戚たちと七日ごとの法要についてや、墓参りについてなど話し合い、
ようやくお開きとなった。

病院から連絡を受けた日曜日から、ずっと気を張っていたので、本当に疲れた。

土曜日は、お墓参りをし、お世話になった病院へ、お礼の挨拶へ行き、
仏壇屋さんへお位牌をこしらえてもらいに行った。
それだけでクタクタだった。

日曜日は、役所関係が休みなので、特に用事はできないので、
泊まってくれていた姉も一旦家に帰り、
私は、うっかり予約を失念していた美容院へ行き、必要な買い物などをして過ごした。

月曜日に姉と市役所や年金事務所へ諸々の手続きを行う。

土地と家の名義変更も、司法事務所を探して相談へ行き、
思いのほか、簡単に手続きが済みそうなので、
即効依頼し案外用事が一日で片付いた。

翌日は、何もせずひたすら眠った。

そして、翌日から会社へ出勤し、私の日常が戻ってきた。

ただ四十九日までは、お灯明をともし、お線香を焚く毎日であり、
母に手をあわす。・・・が、まだまだ実感はわかない。

逆に、今までが自宅から離れて長かったので、今は近くなった気持ちだ。
祭壇があり、遺影を見ていると、なんだか母が近くに感じる。
不思議と寂しさや悲しさはない。
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by ebisuke1014 | 2016-01-22 00:43 | 介護のこと | Comments(0)

覚書(怒涛の一週間)その2

翌日(1/14)、少しゆっくり目に起きると、早々に来客。
母の友人のSさんとKさんが見舞ってくれる。
施設に入る前はよく一緒に遊んでいた方たちだ。
当時Yさんという方もいたが、もう2年ほどまえに他界していたことをここで初めて知った。

残念であり、寂しくもあるが、年齢を考えると不思議ではない。

母も長らく入院していたので、特に友人とのつきあいも無くなっていたので、
親戚以外には連絡していなかったが、こうして聞きつけてやってきてくれて、
ありがたいなと思った。

この日、通夜は夜7時であったが、葬祭場から母の迎えが3時ころにやってくるので、
その時間に私たちも出発する。
その日は、姉と祭場に泊まる予定だったので、その準備やら、
義母が我が家に泊まるのでその準備をしていたらあっという間に過ぎてしまった。

午後3時過ぎ頃から祭場入りし、祭場の準備に立ち会ったり、荷物を運び入れたり、
簡単な打ち合わせ等をしている間にあっという間に通夜が始まる。
式は30分ちょっとであっというまに終わり、通夜の後の食事に入る。

私の会社の人や、私の友人で母を知る(Sちゃん、Uちゃん)、
姉の職場の人などが遅遅にやってきてくれて、ゆっくり話すことができた。

そのままその部屋で私と姉と、姉の子供たちで泊まる。
巻線香はかなり長時間持つので、そんなに消えることを気にしなくても良いのだが、
一応起きておいた方がいいのかと朝方4時ころまでは起きていた。

姉と、母がどこに何年居たかとかを話ながら、夜明かしをした。
まだまだ気ははっているし、母の体もまだそこにあり、
しめやかにというよりも、リラックスしていたように思う。

明日いよいよ体が無くなるのかと思うと、なんだか怖い気がしたが、
とりあえずその時は、安心していたように思う。

朝方ひと眠りして起きてからはまた怒涛のように時間がすぎていった。
式は10時からだったので、あわただしくしたくをしているうちに、
親戚達もやってくるし、また簡単な打ち合わせ等をしている間に、
式が始まり、着々と時は過ぎていった。

最後のお別れで棺にお花を入れるも、あまり実感がわかず。
山のようなお花に埋もれるように、とてもきれいだった。
男手で棺を運んでもらい、私は遺影を抱いて、裏の火葬場へ。

いよいよなのはつらかったが、黙とうしていたため、
扉がほぼしまった時くらいしか見えていなかった。

悲しいのもあったが、精進落としの料理の数が足りないのでは?ということが気になって、
焼き場に向かう頃から気が気ではなかった。
案の定、個数が足りず、慌てる。。。。

すったもんだで、料理を追加し、お菓子やお饅頭の買い出しに走る。
ようやく追加のお料理が届き、自分たちもたべ、一息したら、骨上げの時間に。

父の時よりも骨がボロボロだねと姉は言っていた。

骨上げのあと、初七日法要の予定だったが、お寺さんの都合で、
祭場では行えず、一旦自宅へもどってからとなる。
長い一日である。

→つづく
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by ebisuke1014 | 2016-01-22 00:15 | 介護のこと | Comments(0)

覚書(怒涛の一週間)その1

いろんなことを忘れそうになるので、記憶が鮮明なうちに、記録しておこう。

母が亡くなってからの1週間、あっという間に過ぎ、
父の時もそうだったが、その頃の記があまりがない。大変な時ほどそうだ。

1月13日 AM10:20頃病院から電話が入る。
出社していたため、大慌てで自宅に帰る。
帰る道中で、主人・姉・近所の親戚へ連絡を入れる。

帰宅後すぐ近所の親戚達と病院へかけつけるも間に合わず。
電話を受けたほんの10数分で息をひきとったらしい。

あまりの間に合わなさに、諦めもつく。
がっかりはしたが、短時間であったことに安堵もあったりする。

昨晩も顔を見ていたし、親戚達も前日に皆会っているので、
良かったのでは ないかと思う。

医師から説明&確認があった。
苦しまずにすっと逝ったとのことで、それが何よりの安堵となった。

そのあとは、迎えの手配、葬儀の手配等をしながら、病室で待機。
(病院側は急かしている訳ではないのだろうけれど、
やたらと迎えの時間を決まったら知らせてくれと言っており、
親戚達は、迎えの手配等を病院側がノータッチなのを愚痴っていたが、
私には何が普通なのか分からないので、何とも思わなかった。)

話は前後するが、私たちが到着後しばらくしてすぐ、
湯灌してくれ、死装束に着替えさせてくれ、死化粧を手早くしてくれた。

私が病院に到着した時、まだ体は暖かかった。
いつも硬直していた手も、ゆったりとリラックスしていた。

姉は想定通り、すぐにかけつ けることはできず、
もうじき迎えの車がやってくるという時間が近づきハラハラしたが、
とりあえず間に合ったらしい。まだ体もあたたかいうちだったそうだ。

一旦自宅へ母を連れ帰ることになったため、
私は準備のため一足先に病院を後にしたので、姉には会えなかった。

母を自宅へ連れて帰るのは、親戚と姉たちに任せ、
私は、座敷の片づけやら、布団の用意やらに大慌てした。
ここからは怒涛のような時間がすぎていく。

葬祭場の安置場を利用することもできたが、一旦家に戻ってきてよかった。
もうここには戻れないだろうと思っていたが、こんな形ではあるが、
一晩家で過ごすことができた。

葬祭場の方との打ち合わせ、それに伴い、
各業者(写真屋、花屋、仕出し屋、 ギフト業者)と次々と打ち合わせをする。
決めることが多く、悲しむ間等なかったように思う。

→つづく
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by ebisuke1014 | 2016-01-21 23:50 | 介護のこと | Comments(0)

覚書(面会)

1/12夜
仕事が終わって、面会時間ぎりぎりに母の顔を見に行く。
二日前に見た時よりも呼吸が苦しそうだ。
酸素マスクをつけていたが、かなり量は多く入っているように思う。

気道をふさがないためか、頭ではなく、肩のあたりに枕が挟まれていて、
そのせいか、よけいに下顎で呼吸をしているように見える。
二日前よりも、ぎこちないというか、一生懸命息をしている感じ。

息がしにくそうだけれど、見方によればまだ自分でしっかり息をしているとも言えそう。

近しい親類に連絡したり、いつ病院から電話があるかもと気をはっていると、
精神的に疲労する。
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by ebisuke1014 | 2016-01-20 19:27 | 介護のこと | Comments(0)

覚書(急な連絡)

1/10(日)病院から連絡が入る。日曜日のため、当直医から。
呼吸が浅いとのこと。

後になって調べて意味が分かったのだけれど、
説明の中に「下顎(かがく)呼吸」のような呼吸の仕方だと。

この日、初めてうちに連絡があったが、看護師からは、1/6頃から、
呼吸が浅いという報告が病院にはあがっていた。

慌てて、病院へ様子を見に行く。電話をくれた当直医がまだ居てたので、話を聞く。

母の様子を見に行くと、口を開けて息をしている。確かに呼吸しにくそうだ。

だけど、呼吸の量は問題ないとのことで、このときは、酸素マスクなし。
しかし、二日後の1/12は酸素マスクしていたそう(叔母談)。

当直医の話では、日ごろ状態を見ていないし、今後のことは何とも言えないとのことだった。

数日前に撮った、レントゲンの写真等で説明してもらう。
去年説明を聞いたときよりも、肺の転移は進んでいる。ほとんど肺が腫瘍で白くなっている。
そして、胸水がたまっているといわれ、これは今回初めて聞いた。

肝臓にも転移じゃないかと思われるものがある。

肺が腫瘍で圧迫されて、呼吸がしにくくなっているんだろうとのこと。

痛くないのかとか、しんどくないのかとかが一番気になるところ。
何か処置はしないのかと聞くと、酸素マスク、本人が非常に痛そうであれば痛み止め・・ということらしい。

だけど、酸素が回らなくなってくると、だんだん意識も混濁してくるので、
痛みも感じなくなってくるらしい。
ある意味それなら・・・・と思う。

日ごろから、意識があるのかないのか、分からない様な状態だったから、
そのまま混沌とした中で逝ってくれれば・・・と思う。

1/12主治医の先生から改めて電話があった。
昨日(1/11)とほぼ変わらないとのこと。
しかし、あの呼吸の様子だと、もって数日かと。
週末まではもたないでしょうとのことだった。
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by ebisuke1014 | 2016-01-13 09:54 | 介護のこと | Comments(0)

元気でいてね。

去年の暮れに義父を誘っていた、鳥取への旅行ですが、結局爆弾低気圧が来て、大雪の心配があったから、後ろ髪ひかれつつ諦めました。

また、次行けるとしたら、今年の秋の大型連休くらいなのですが、
今は、義父が元気で居てくれることを願わんばかりです。

お正月に帰ったときは、いつもの笑顔で迎えてくれました。

補聴器は煩わしいのか、あるのに付けててないことが多いみたいですが、
気持ちは元気で居てくれている様でした。

今年は元旦から雪で、結局恒例の初詣へも行かずで、寝正月みたいなもんでした。私たちが来たときくらいは、義父をどこかへ連れ出したいのですけど。

デイサービスに関しては、口では、面倒だとか嫌だとか言ってますが、
着ていく洋服を気にして準備したり、お風呂に入るので、下着を気遣ったり、行く気は満々でした(笑)

結構なことです(^.^)

そして、相変わらず食欲も旺盛で、お雑煮のおもちだって、3つも4つも食べちゃうし、

すき焼きのお肉だってパクパク、甘いものも好きだし、食べれるってことは幸せなことですね。
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by ebisuke1014 | 2015-01-20 16:05 | 介護のこと | Comments(0)

旅行

義父がずいぶん元気になってきたもんだから、
旅行に誘ってみた。

今なら、気力・体力ともに、行けるのではないかと思って。
足が不自由だし、目も見にくいし、耳も聞こえにくいけれど、まだ自分で着替えたり、食事したり、自分のことは自分でできるので、
行くなら今しかないと。

もともと自分達が行く予定だった旅行に、
一緒に行かないかと誘ってみたのだ。

義母が以前から行きたがっていた、出雲大社にも、行けそうだし。
幸い祝日も重なって、実家へ義母たちを前日に迎えに行って、帰りは送って実家で一泊できる日程の余裕もあるし。

こんな機会はめったいにないし、
寒い時期で、旅行には適さないかもしれないけれど、
半年待ったら、状況がどうなっているかも分からないからね。

と、しばらくしたら、義母からことわりの電話が。
義父が、「断れ」と言っていると。
送り迎えに来てもらうのが申し訳ないと。

それは構わないと一旦押し戻したのだけれど、

またしばらくて、義母から、今度は義父が足が痛いとか言いだして、行かないと言っているらしいと連絡を受けた。

でも、義母自体は行きたいらしく、
そんな義母に義父は「おまえだけ行ってきたらいいだろ!」と少々へそを曲げ気味だとか。

義母が行くなら、どうせなら義父も行ってもらった方が良いのだけれど、
いこじになっていなければいいのだけれど、
どうなるかなー。

もうすぐキャンセル料発生になるので、そろそろ決定しなくちゃいけないのだけど、

これを逃したら正直次があるか分からないので、
是非とも来てもらいたいのだけれどな。

義父は、だんだんと億劫になってきて、行きたくなくなってきて、うれしくないかもだけど、
勝手ながら親孝行させてもらいたいんだけどな。。。
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by ebisuke1014 | 2014-12-09 16:24 | 介護のこと | Comments(0)

すごいなぁ。

夏に義父の様子が心配で7月の連休を使って帰省して、
その後、お盆にも帰省し、
今回、秋祭りのために、帰省してきました。

ますます義父は元気を取り戻しており、
元気だったころの笑顔で迎えてくれました。

何と、あれだけ、「あんな年寄じみたものは嫌だ!」と
補聴器を嫌って一切受け付けなかったのに、
ちゃんと着けてるではないですか!

しかも、介護保険で、無料で作れたと、嬉しそうに話してくれました。

デイサービスでの、楽しいエピソードなども、いろいろ話してくれ、
前回帰省したときよりもさらに元気になっていて、
ほんとに、昔に戻った様です。

そりゃぁ、歩くのもおぼつかないし、
耳が遠いのも、目が見にくいのも、変わらないけど、
やっぱり気持ちが元気なのです。
気力があるのです。

このまま、認知症が進むかと心配しましたが、
今回の帰省では、会話していてもまったくおかしなところもなく、
義母からもそのような話は聞かなかったので、
顕著なことはないのだと思います。

元来おしゃべりな義父なので、デイサービスで、いろんな方とお話しをして、
皆が笑ってくれるのが楽しい様です。

何だか、一時はとても心配しましたが、生気が戻って安心しました。
こんなに元気になら、こんど、義父を旅行に誘ってみようかな?
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by ebisuke1014 | 2014-10-20 14:21 | 介護のこと | Comments(0)

生活に刺激を。

義父の様子が心配なので、この7月の3連休に帰省してきました。

義母からは、「随分、元気になった」とは聞いていたのだけれど、

本当に。。。帰ってびっくりです。

生気がよみがえっていました。

そりゃぁ、体力とかが戻るわけではありませんが、
活力というか、そういうのが、目に見えるほどに、復活していました。

大したものです。

もともと、おしゃべりな義父なのですが、それが功を奏したのか、
デイサービスに行っても、よくおしゃべりをしているそうです。

で、私たちがいくら勧めても聞かなかった補聴器も、
デイサービスでどう言われたのか分かりませんが、
今ではすっかり着ける気満々なんです。

しかも、身なりにも気を使うようになって、
洋服や下着、身に着けるものを「欲しい」と言うようになったそうです。

人間、変わるものですねー。
やはり、外へ出るということはとても大事なことです。

口では、「イヤダ」とか言ったりもしてますが、まんざらではなさそうなんですよね(笑)
何とか、この調子で、機嫌よく行ってもらいたいもんです。
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by ebisuke1014 | 2014-07-22 13:20 | 介護のこと | Comments(1)

デイサービス

少し認知症の症状が出てきていた義父だけれど、
デイサービスに行きだしてから、調子がいい様だ。

まず、デイサービスに行ってくれるかどうか心配だったのだけれど、
ことのほか、楽しく通っているそうだ。

田舎のことだから、知り合いも行っているらしく、
「○○さんが来てた」とか、嬉々として義母に報告するそうだ。

まぁ、なんにせよ、楽しく行って、刺激になってくれれば何よりだ。

家にいても、ぼーっとするばかりだし、
ダラダラと寝てしまうし、やはり、きちんとして外へ出るというだけでも、気が張るものだしね。

近々様子を見に帰ろうと思っているけれど、
少しほっとした。
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by ebisuke1014 | 2014-07-04 19:43 | 介護のこと | Comments(2)

ちょっといいにくいことなんかを、こっそりこちらに書いてます。
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結局みんな寂しいんやよね..
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聞いた時はおかしくて笑っ..
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うちの祖父もそんなでした..
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えびすけさん、こんにちは..
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お返事ありがとうございま..
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よっちゃんお肌ツルツルリ..
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ご無沙汰です~。ひょっこ..
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